nawa prasad 2002


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ロングセラーズ

ナワ プラサード

2002.12
 冬の私の楽しみは火鉢である。帰るとまず、炭をガス台でおこし、火鉢に入れる。しばらく見とれる。はっと気がつくと、時間がずいぶん経っている。食事の支度をするときは、遠い火鉢の炭のようすを気にしている。少しずつ燃えて、灰になっていくのを見るのが好きなのである。火箸をもっていないので(あまり最近売っていない)、木の菜箸でつつくのも好きである。木の箸はすぐ火がつくので、あわてて灰の中につっこんだり、水で冷やしたり。 この火鉢で今年は味噌をつくったので、炭を炊くと、その味噌の残りがぷつぷつと火鉢の側面に、かびのようにでてきた。もちろん、火鉢として再利用の前に、じゅうぶん水洗いして、どこにも味噌など目には見えないのに、火鉢が暖まると、びっしりわいてくる。不思議だなあ、と感心する私の横で、娘たちはきもちわるい、割れるんじゃないか、と拒否反応。無視して、毎日眺めていたところ、十日くらいで、味噌はわかなくなった。ちょっとつまんない。味噌が焦げる匂いもけっこう好きだったのに。ふつうの密閉度の高いアパートなので、寝る前に少し換気をしてベッドに入る。起きると、毎日火鉢の中を見る。炭が1、2ケ燃えそこなって残っている日は、なんとなく機嫌がいい。そんな冬の日々。でも、もっと寒くなると、火鉢だけではなあ。(ゆりこ)
2002.11  

 柔らかいエネルギーには形がない。生まれたばかりの赤ちゃん、女のひとたちのフラダンス、海の波。ただ繰り返し形を変えていく、柔らかく力強いなにか。私はそういうものに出会うと、言葉がなくなる。ただただ心の中から笑みが湧いてくる。涙が湧いてくるときもある。「美は命の異名である」と言ったのは石牟礼道子だったな.....。その美しい柔らかい力強い何かに会いたくて、私はきっとこうやって生きている。
 だけど、自分をとりまく世界はそれと反対の方向にばかりいこうとしている。テロ、戦争、そんなに大きなことだけじゃなくても、身近ないさかい、行き違い。世界は勘違いと思い込みでできている、と皮肉のひとつも言いたくなる。でもでも、皮肉屋のミ−(ム−ミン谷のだ!)もいてこその全体だ!と自分を励ましてもいる。だが、きょうはアロハフラのミニ・コンサート。薫さんたちのあまりに柔らかいバイブレーションに皮肉屋のミ−はあっけなくやられてしまいました.....。すばらしい踊りだったよ、ブラボー、嘘じゃありません。(ゆ)

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2002.10
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 中山ラビさんが店に来た。黒ずくめの衣装に金髪の、かっこいいひとだった。一緒にいた女のひとも、バンドのひとか?似たような雰囲気の細身のお姉さん。納品してくれたCD(『ラビing』)は、もうあのころの匂いでいっぱいの、かっこいいロックだった。いまどき、こんなにシャウトしてうたうひとはいないよ。お客さんのいないときなど、ボリュームいっぱいに聞いていると、不思議な感に囚われる。変わらないものと、変わるもの、のことである。なんだか、どっちも結局は同じ、などと乱暴な結論になっちゃうCDだな、これは。そんなことはどうでもいい、魂が何を感じているか、だけだな。
 別の日、来日したジョゼ・ピ二エィロとふたりで近所の沖縄飲み屋で飲んだ。ラビさんとは全然タイプの違うひとだけど、なんだか共通項があるような気がした。一見、全然、なさそうだけどさ! ジョゼは、実生活ではすごくバランスのいいひと、という気がする(ごめん、ラビさんのことは知らないよう!)。地に足がついて、家族仲もよくて、あったかいひとで、でもそんなこと一切忘れて、へペンチスタ(ブラジルの吟遊詩人)の10行詩、8行詩のかけあいを、ポルトガル語の甘い響きで詠んでくれた。そのとき、大げさだけど、人間の大きな可能性を感じたのだった。感じたままを生きればいいのだ。遠いユートピア、どこかの聖地より、自分の心だ。悲しければ泣く、いっしょに泣く、笑いたければ、いっしょに笑う。そんなすなおな自分に会える日はいつだろうか。(ゆりこ)
2002.09
 うちの犬は柴犬とコリーの雑種である。コリーのようにハンサムな顔をしているのだが、柴犬の血が濃く、よく吠える。番犬としてはいいのだが、どの人にも吠えるので、うちの客は災難である。だが、今まで1 回だけ吠えなかったことがあった。事前に、吠えないように、と言い聞かせてみたのである。現れたのは、子どもの家庭訪問の先生。きれいなお姉さんだったせいか(ウチの犬はオス)、ワンともスンとも言わず大人しくしていた。ちょっとびっくりだった。
 それっきり、その事件(?なにも起きないジケンだけど?)のことは忘れていたが、最近、米国の動物サイキックのひとが書いた、『アニマル・コミュニケーター』(ヴォイス刊)という本を読んで、そのことを思い出した。そうだ、動物ともコミュニケーションが大切だな、と反省したのである。このところ、あまりかまってやっておらず、塀がこわれて犬が遁走すること3 、4 回、ひじょうに嫌だったが、暑いせいもあり、直す気にもなれず、ただ困っている、という無策ぶりだった。ああ、言い聞かせてみよう、と思った。そこで、ここ数日、「楓ちゃん、逃げないでね」とやさしく呪文のように、外に出すとき、言ってみた。そしたら!!逃げないのである。大人しく、まんまるの目で私を見ているだけだ。ひえーっである。元気のいい子なので、言う事はぜんぜんきいてくれない、と諦めていたので、これはこっちの扱いが悪かったのだ、とほんとうに分かった。これまで、ごめんなさい。
 吠えるほうは、ときどき実験してみよう、と思っている。塀は、旧盆の休みのとき、直す予定だよん。(ゆ)
2002.07-08
 毎日、いろんなリアリティが押し寄せてきます。さまざまな人がさまざまな活動をしています。ときどき、それらに押しながされて、だいじなものが見えなくなるときがあります。そんなとき、自分はなんのためにこの本屋と学校を続けているのか? と思い返します。「いのちのひみつを、みんなと分かち合いたいからだ!」という声が自分のなかから聞こえます。そうでした、それが基本なのでした。
 香月人美さんはリハーサルのときは、最後に「もう一度。もう一度。あきらめないで!」と葉っぱをもって言ったのでしたが、本番のとき、みごとに忘れたのでした。だから、その葉っぱから、生命の樹を、またはじめました。大切な私たちの樹です。みなさんがまた言葉や絵を書いてくれると、とても嬉しいです。2人のアーティストも、また来てくれることを約束してくれたので、その約束は私の心のなかでまた喜びの種となっています。(ゆ)
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2002.07-08 その2by Matchan  

 去年の9月からたくさんの人たちの言葉の葉っぱで入口の「生命の樹」はいっぱいになりました。
 そして先月6月1日『生命の樹の下で「声の福音書」を読む』と題して河村悟さんのレクチュアと香月人美さんのポエトリーリーディングが行われました。その中でもう一度、一枚の葉っぱをはがして、はり直しました。ひとつひとつの言葉を大切に想い、だいじに扱うことで、ひとつの区切りになったように思います。
 みんなの想いを託した葉っぱをいったん井草八幡に納めることになりました。また、ここから新しい「生命の樹」がスタートします。本当の平和にはまだまだ道は遠い。もう一度。もう一度。あきらめないで! (ある一枚の葉っぱに書かれた言葉)です。
 葉っぱに言葉を書いてくれた皆さん、どうもありがとう! これからも「生命の樹」は続いていきます。どうぞよろしくね!(ま)

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2002.06  
 友人(女性)が、自宅のお風呂に入ったときのこと。風呂の湯の底に四角い格子模様が見えたという。え?と思って、壁を見ると、そこにも格子模様が....。うん? 目の錯角かしら、ともっといろいろ見ても、まだ見える。そこで友人は考えた。あっ、ああーっ、原稿用紙のますめだッ! 彼女は詩人で、その日は原稿用紙に一日中向かっていたのである。それも緑のますめの(さいきん、それに代えたばかりだった)。蒸気でもうもうとしたなかで起きた残像だったのだ。それを聞いたとき、私は自分の影を空にうつす遊びを思い出した。これは簡単、知っている人も多いかもね、ここ10年くらい教科書に載っているくらい。知らない人は、天気のいい日に、外で自分の影をじっと見る。しばらくして空を見てごらん、自分の影が空に大きくうつっているから! 初めて見ると感激するよ。
 でも目ってあんがい嘘つきかもね、見たいものしか見てないしね。ミンデルのワークにでた人がさいきん教えてくれた。場の意図的波動(ダイナミズムかな?)のよみ方。焦点をひとつのものにあわせないことだってさ。なるほどね、いつもなにかに焦点をあてているものね、見るときは。目だけを使うなってこと? 身体も全感覚も、かな。でもぼんやり、か。瞑想に似てるかな。いつもそのように見れれば、的確な行動も迅速にとれるかなぁ、ふだんは自分の思い込みやら勘違いにとらわれて、行動遅いもんなあ。すなおになれば(なれるときもたまにある)実に早く動ける。そういうときは、すっすっと、すべてうまくいく。うーん、確かにそういう時は目だけを使っているわけではない、つまり全身をつかっている感じなのだ。おお、身体を動かしたくなってきた。太極拳や、ダンスをしたああい! ひまがないけど、踊るぞおおおお! (ゆ)
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2002.05  
 マンダラワークをしてくれたフェリシティがオーストラリアに帰国の日。荷物があまりに多かったので、送っていくことになった。途中、九段下のホテルに寄り、別の荷物もパックし直して、他の女ともだちも合流、楽しくお茶をした。箱崎に行くにはまだ少し時間があったので、散歩にいこう、ということになった。北の丸公園でも、と思っていたら、フェリシティが「靖国神社にいこう」と言うのである。靖国? お詣りするなんて考えたこともなかった。あまりに政治的なところなので、私の頭からはポッカリ存在がぬけていたのである。でも彼女が「戦争で戦った人たちは、ホントにゴクローサンだったよ。」と少し変な日本語で言うので、私もそうは思っていたので、大きな大きな鉄の鳥居をくぐってしまった。きもちのいい天気の日だった。本殿の前で手を合わせ、彼らの鎮魂を祈り、ついでに私たちの魂の安らけくあることもお願いした。かえりみち、なんだか胸が痛い。前を歩くフェリシティにそう訴えると、ふりむきながら「私たち、昔は男だったよ。いっぱい戦ったのよー。」と言う。うううーむ、そうかもしれん............、だから、今生では女の人なのかなあー
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2002.04  
 先日の休み、思いついて父と母を家での夕食に招待した。すぐ近くに住んでいながら、ふだん余り積極的に交わらないせいか(?双方ともシャイ?めんどくさい等の理由による)、ものすごく喜ばれた。ちょうど(私の思い違いで)娘たちは外出中、3人での食事となった(しまった....)。でも会話は他愛ない話ではずんだし、私の料理も評判よかった。父がずいぶん体が弱ってきてあまり外出しないので、ふたりで退屈していたのかもしれない。
 ふと、嬉しそうにしゃべっている母の手に目がいった。細い小さな手で、ずいぶん、しわがよっている。でも、そのしわはまるで葉脈のように、あるいはレースのように、きれいに見えた。でも口にだすとしわそのものに話が行ってまずい、と瞬時に判断が働き、黙ってしばらくそれを盗み見していた。
 あとで思ったのだが、いくつになっても、母を美しい、と感じられるのはいいことだ。それが、たとえ身体のごく一部だとしてもだ。うんと小さい子供は、自分の家の自慢をしたがるものだ。お母さんがきれい、とかお父さんが金持ちとか、うちに何々がある、とか。近所の子供がほんとにそれを信じきって、自慢しあっているのを聞いたことがあるが、それはおかしいやら、可愛いやら。で、なんだか、大人のそれって、こういう風に巧妙に言わないと、だめなんか?という気もするけど、でもいずれにしろ、母の手を見て、私はなんだかいい気分になったのだった。(ゆりこ)
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2002.03  
 このニューズレターは、いつもたくさんの講師たちの原稿から成り立っている。なかでも毎回、スタッフ一同楽しみにしているのが、月曜のヨーガの大塚須沙子さん。本文200字で、という指定のなかで、こんなに美しい文章がよく書けるなあ。水の循環と、人生の流れについて。静かに、一歩一歩歩んでいるひとがいる、それもすぐ近くに、と思えるのは本当にすてきだ。
 あらためて、ほびっと村学校ってすごいとこかもしれない、と思った。中にいるとよく分からなくなってくるのだが、そして時折は内心、誇りにも思っていたのだが、口にだすことがなかったような気がする。カタカムナ音読法というユニークな、画期的な国語教育法を実践している松永さん(次回は4月28日です)、お産という人生の一大事をきちっと学ばせてくれるきくちさん、瞑想の真実をさまざまな手法であからさまにしてくれるウィマラさん、人間の無意識の広大な智慧をヒプノセラピーという方法で開示してくれる岸さん、アロハスピリットをフラダンスを通して伝えている薫さん、花粉症に悩むゆ、にたちどころに直観でホメオパシー丸薬を処方してくれる魔女、フラワーエッセンスの増田さん、もう、枚挙にいとまがないぞ。
 もう終ってしまったが、ヒッピー2世のTVコメディー『ダ−マ&グレッグ』のなかで、サンフランシスコ教育センターというほびっと村にそっくりな学校がでてきて、笑ってしまったことがある。そのときの話題はたしか、セックスについての講座だった。ウ−む、うちにはないなあ。マンタック・チア(『タオ性科学』『気内臓療法』等、高い本なのに、ナワのロングセラー)来てくれないかなあ。それに死についての講座も。いちばんいいのはどなたか既に死んだ人。チャネルでだすか、などと、春に浮かれているゆ、でござります。(ゆ)(「三省さん、遊びに来てくれないかなあ。」と横で由が笑いながら)。
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2002.02  
 先日店にいるとき、娘から何時間もひどい腹痛で我慢できない、と息もたえだえの電話が。すぐには帰れないので実家の母に連絡したり、講座のひとに戸締まりを頼んだりして、なんとか駆けつけると、既に救急車を呼んだあとだった。救急車はすぐ来たがすぐには出れない。受け入れてくれる病院捜しである。幸い近くの病院がOKだったので5分くらいで出発した。
 お母さんと医者がいるという安心感からか、病院に着くと激痛はおさまってきた。X線撮影をして、できた写真を見たが、原因は結局は分からなかった。ただ、私はその写真の美しさに感動した。みごとな背骨、骨盤である。背骨は軽い彎曲をみせてりりしく連なり、骨盤は力強く二つのかなめとなって身体の中におさまっている。以前に歯の治療のため、自分のあごのX線写真をとったときも、その逞しく美しい骨にうたれたが、まことに人体というのは遥かに人智を超えたものであった。
 娘の腹痛に対しては結局頓服が処方されただけだった。可能性としては、風邪か(熱はない)便秘によるものか。娘は前日徹夜気味なのと、体育のフラフープの筋肉痛もあるが、と言ったら、担当の女医さんは「うーん、可能性はありますね。」だと。念のため言っておくが、女医さんも看護婦さんもX線技師も、また救急隊員の人たちも、(自分の仕事を淡々とこなす)超感じのいい人たちであった。娘は翌日一日家で寝ていただけで、もうけろりとしている。普段病院に縁のない生活なのだが(たいていのことはテルミー(温灸)ですましている)、あのX線写真は欲しいなと思った。くれないかなあ、言ってみようかなあ。(ゆ)
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この文章は紙版「ほびっと村学校かわらばん」の編集後記です。ナワプラサードの高橋ゆりこによって書かれました。

 
 
 

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