役に立つ本屋  NAWA PRASAD
ナワ・プラサード 


167-0053東京都杉並区
西荻南3-15-3
TEL 03-3332-1187
FAX 03-3331-3067
OPEN 12:00〜20:30
定休日なし

BLOG
ブログ・ナワプラサード・スタッフより
ナワプラサード(書店)とほびっと村学校の今日だよ
nawaprasad.exblog.jp

hobbit@ea.mbn.or.jp

 2016.04  
   11月から3月までの間、私は拝火教徒だ。都会のアパートで火鉢の炭を熾している。友人たちは一酸化中毒を心配するが、煙の出ない、いい炭を使えば全く問題ない。もう十年も元気です、私は。月に1回15キロの炭を買うが、灯油を買うよりいいかなと思っている。火鉢は西荻のアンティークショップにて。

 炭の火を眺めるのがとても好きだ。海の波と同じで、まったく見飽きるということがない。炭が焼けるときのリンリンという半分金属音めいた音も好きだ。何とも微細ないい音だ。炭の火を見ていると、心もしんとして、何事も考えなくなる。この時間があるから、私はまだ生きていられる。人生は夢のようにめまぐるしいが、全てを忘れて火が燃えるのを見ている時間はなにものにも代え難い。自分が自然の側にいる時間。都会のみなさん、火鉢生活、おすすめです。(少し家が灰っぽくはなりますよ、、あ、でも客は楽しんでくれるし、みなで鍋もできる!)。(ゆ)
 
  2016.02  
<<人生パチンコ玉論と人生玉突き事故論>>

 結婚していた頃、年2回の里帰りで、東京に戻るとき、いつも最後は首都高だった。スピードをあげた車でくねくね走っていると、自分がパチンコ玉のような気分になった。ちーんじゃらじゃら、とどこかに落ちて、家に着く。でもパチンコ玉を打っているのは、自分なのか、他の誰なのかは判然としてなかった。

 今は、また高速道路のイメージなのだが、人生玉突き事故論者だ。4台目くらいになると、なにがどうしてそうなったのか、今はここ、だ。

 雪のふる日、新宿で2件の約束があった。夜のほうはキャンセルになり、夕方のほうはなっていない。西口の喫茶店で待ったが、相手は全然来ない。あれ?と思い、メールしてみたところ、忘れてたとのこと。なにぃ。しかたない、新宿をぶらぶらしてみよう。雪は降っている。久しぶりに紀伊国屋書店に行く。あまり、おもしろくない。絵本や美術書を見て少し楽しみ、詩のコーナーで、白石かずこの詩集を読む。あまりの面白さに感動する。なんだ、すごいな。1冊思潮社の安い本を買い、家に帰る。夜遅く、別の友人から電話があり、さびしいょぅ、と訴えられる。ただ聞いているのもなんだかなぁと思ったので、白石かずこの詩を2つばかり、詠んだ。ふたりでたいへん面白がり、いい感じになった。これが、玉突き事故の4台め、である。私は積極的に何かしたわけでない。雪が最初の原因だが、あとは玉突きである。たまたま、私はその過程を全部見たが、友人はとつぜん電話で詩を詠まれたわけだ。

 パチンコ玉論よりは、関係性が見えてきたわけだから、いいのかな?(ゆ)

 
 
   
   
 2015.12  
 小さいときから、どっちつかずだった。勉強ができる子には反発と退屈を覚え、できない子には同情するけどなんだかもう少ししっかりしろよ、のきもち。動物にも鳥にもなれないイソップ物語のこうもりに、いやにシンパシーを感じた。今でもそれはある。下品と上品。貧乏と金持ち。女と男。下品と貧乏と女のみかたです、という義侠心はあるが、私はどの当事者なんだ???中品と貧乏と女か?

 ひとは相手によって、ひとが変わる。これは大きくなって学んだことだ。娘たちにとっては、まだお母さん。孫たちにとってはもうおばあさん。年老いた母にとっては、まだ嫁に行くかもしれないという冗談を言える娘。これを言われたときは、もちろんあっはっはと笑い飛ばしたが、ほんの少し傷ついたりして。昔の相方にとっては、、、それぞれに聞いてください。仕事仲間にとっては、仕事仲間。仲のいい友人たちにとっては、きっと気のおけない相手。

 どれがいちばん自分らしいか、と考えたら、自然にいられる相手かなぁ。なんのよどみもなく。そんなことは滅多にないから、あったときは、たいへんな至福がオトズレル。あ、そうそう、神さまにとっては? どんな自分だろう。自分のかたちがすでにない自分、、、そうなりたいなぁ、どっちつかず、もうやめたいもん。(ゆ)

 
  2015.10  
 先月号の表紙のリード文で、「日本ではとうとうフェミニズムは定着しなかった」と書いたところ、何人かから、あれはどういう意味?と聞かれた。

 小田まゆみさんが、あんなにたくさん、美しくふくよかな女神たちを描いた。ニキ・ド・サンファルが、風船のように膨らんだポップな女たち、ナナの像をつくった。(今ちょうど国立新美術館でやっています。12月14日まで)。あるいは相似象(カタカムナ)の宇野多美恵先生がしつこくしつこく、サヌキとアワのサトリを説いた。男も女もけっきょくアワを鍛えることが大切だ、と(この本はすでに絶版)。これらのことに私は感動していたのである。みな、やせた女の人たちだった。男性優位の社会の中で、おおいなる女性性を解放していったのだった。これらのすさまじい努力とその美しい開花を、もっともっと知ってほしい。

 今の日本は、そんな根源的なフェミニズムはどこかにぶっとんでしまった。女も男も非正規雇用の受難の時代だ。一億総活躍できる社会などとバカなことしか言えない首相の舵のもと、日本自体がどこへ向かうかわからない。サバイバル自体が人生の大義になった。いいもわるいもない。こんなときに立ち顕れてくる女神像にこそ私は会いたい。日本の女たちはたくましく無自覚なままだ。大変な時代こそ、徳が磨かれるチャンスなのだから、その根源の生命力に気づき、手をとりあってすすんでいけますように!〜〜これで答えになっただろうか?(ゆ)

 
 2015.08  
  上の娘が孫2人を連れて朝から遊びに来た。置いてある古いおもちゃを出して、大騒ぎ。賑やかで楽しいひとときだ。今日は昼ご飯を食べて、早く帰る。娘がこどもたちを自転車に乗せたところで、鳥のひなの死骸を見つけた。家の前の木の巣から落ちたのだろう。蟻が群がっている。もうすでにぺちゃんこで中身がなく、くちばしばかりが大きく見える。「かわいそうに、」と口にだすと、娘は子どもたちにこう説明した。「とりさんのしがいはありさんが食べてくれているよ。だからぜんぶなくなっちゃうんだよ。でもまた、とりさんはどこかで生まれるんだよ。」5歳の上の男の子が「また生まれるの?」と聞く。「そうだよ、すべてはくりかえしなんだよ。」
、、、、
 上の娘は子育てでたいへん忙しい。幼稚園が夏休みに入り、毎日ばてたばてたと言いながらも、こどもたちを精力的に遊ばせている。そのさなかの「すべてはくりかえしなんだよ」というフレーズ。私はそんな教育を娘にしたのだろうか? それとも娘の生活のなかの実感なのだろうか? 暑い暑い夏の日。私はくらくらしながら、自転車で去っていく娘とちびさんたちを見送ったのだった。(ゆ)
 
   
   
2015.06  
  6月20日にほびっと村学校にいらっしゃるニチャン・リンポチェ。先日ご自宅での講義に伺ったときのこと。講座の最後に、遠くを見つめるような目で、「我があると思うのは、私たちの貧しさですよ」と言われた。えっ、、すごい発言かも!?と感動してたら、さらに「私たちのもろかさですよ。 」とつけくわえられた。モロカサ? リンポチェは日本語が達者とは言えない、、から、きっと脆さと愚かさを一緒になさったのだろうが、言い得て妙であった。

 貧しさ、脆さ、愚かさである。人間のありようである。釈迦が仏法を発見なさったとき、智慧と方便 を説明なさったとき、どれほどの歓喜が世界にあったかを思うと、今はとてもざんねんな時代だ。だがきっとこういう時こそ、よ〜くものを見、考えるチャンスなのかもしれない。勉強が必要だ。人と交わることもその一端、世界は広い、希望は捨てまい。(ゆ)

 



 小さいとき、家は賄いつきの大きな下宿屋さんだった。私と兄は、その大きな階段の手すりをしゃーっと滑り降りたり、階段を一段ずつお尻でとんとん滑ったりして遊んだ。ある時祖母がその真似をした。そして腰を打って怪我をした。私はとても不思議だった。大人なのに、子どもの私のマネをした?? 

 でも今は分かる。人を使う、女将のような立場の人も、心の中に小さな子どもはいつまでもいる。青年期中年期は人生は外に向くから出にくいが、年をとるとその小さな子どもの出番が少しずつ増えるのだ。なんだか無邪気に遊んでもOKみたいに、天から言われるのかも? 

 私の母はその祖母のその時より、もう20も上の90才だが、まったく子どもだ。髪も私に洗ってもらうし、ソージもしない。ただふざける。いい子だが赤ちゃんすぎる。時々大人に戻って、びっくりさせるが。痴呆とか認知症という言葉より、それが自然なのかも、と思うこの頃。(ゆ)
 
 2015.04  
 わたしの生活。/愛の生活。自然に湧いてくる優しさ。皮肉なきもちが少ないのはたぶんいいことだろう。/仏教的生活。自愛も含めて、生き物すべてに愛と憐れみが向く。みんな、ごくろうさま、だよ。/孤独の生活。ひとり灯を小さくともして歩んでいる。寂しいが、ひとりの充実感もある。/社会生活。それぞれに役目がある。自分の仕事をとおして、結局ひとのために生きている。/社交生活。ひととの交流の喜びがある。特にこの時代に分断され、小さく貶められている自分が、ひとと心からの会話をちょっとしただけで、生きかえる。ひととの交流がこれほど大切な時代になったんだな、と思う。/魂の生活。ひとつひとつの現象にさざ波のように呼応して、私の魂はつくられていく。無意識かもしれないが、大きな波にのって、どこか初めての場所に連れられていく。

 私は生まれたから、死んで行くのだが、その道行きのなかで、そうじゃないものも少し発見した。大切なものはある。家族や周囲のひとたち。道に咲く花。今の季節なら桜霞み。それらも変わっていくが、だからといって大切にしないわけにはいかない。好きなものは嫌いになれない。

 ああ、もう1個あった、私のだらしない生活。ひたすら眠ったり、ぼぉ〜っとテレビを見たり、1日3個計画して、1個しかできないとか、いや半個か、ゼロ。その自己嫌悪も含めて、仏さま、許してね。(ゆ)
 
 2015.02  
 私は自分のことがわからない。平和主義者で少し仏教徒で、少しリベラル? 理想が高い(?)分、自分の現実はそうじゃないから、強くない。冗談が好きで、でも真面目なとこもある。保守的なとこもある。自分の無力さにいろんなことを諦めてもいる。

 今回の人質事件はきつかった、、、。刻々と変わる状況に、心が痛んだ。湯川さんのことは特に心が痛んだ。後藤さんは少なくても皆が命乞いするような人だ。だが、世の中はそうではない人の方がずっと多いのだ、、。個々の現実が織り込まれたこのややこしい世界の中で、いろんな役割を背負わされてしまうことがある。ひとりひとりが耐えていくしかないのだが、それでも心が痛んだひとに対しては、花をたむけようと思う。(1.31 ゆ)

 後藤さん、湯川さんのふたりを悼むことになってしまいました。残念です。いろいろおつらい思いをなさっているご家族、みなさまに追悼のきもちを捧げます。平和のきもちも祈念いたします。(2.1 ゆ)

 
この文章は紙版「ほびっと村学校かわらばん」の編集後記です。
ナワプラサードの高橋ゆりこによって書かれました。
^
 

^

<<<<相似象学会の書籍販売について>>>>

従来どおり、販売を再開しました。
価格はすべて税抜き表示となっています。
表示価格に消費税がつきます。

相似象学会誌
(1)  500円     (2)  700円
(3)  900円     (4)  1000円
(5)  1300円    (6)  1400円
(7)  1600円    (8)  1700円
(9)  2700円    (10) 3500円
(11) 4000円    (12) 4000円 
重版できました!
(13) 4000円    (14) 4000円
(15) 4000円    (16) 4000円


10号別冊として、サヌキ・アワのサトリ  
品切れです。
ゲーテのファウストとカタカムナ 4500円  品切れです。

11号別冊感受性について
(1) 品切れです。  (2)
品切れです。
(3) 
品切れです。  (4)  3700円

補遺(1) 
品切れです。  (2)  3700円
   (3) 3700円      (4)  3700円

 なお、これまでは、宇野先生のご意向もあり、縁ある方々に読んでいただけるようにとアンケート記入をして戴いておりましたが、先生亡き後、そのアン ケートを読んでいただく方もなくなり、廃止いたします。したがって、もう少し自由にお買い求めになれるかと思います。

 また相似象関連書として、下記の書籍も扱っています。

『静電三法』(楢崎皐月著 シーエムシー技術開発株式会社 5800円)
『日本の上古代文化』(アシヤ文化研究会 久保田覚巳編集 500円)
『其角「類柑子」』(渡辺ユリ子注解 新水社 3500円)

総計5000円以上の方は、送料はサービスいたします。
5000円以下の場合は400円、申し受けます。

ご希望の方は、 FAX: 03-3331-3067 TEL: 03-3332-1187
MAIL: hobbit@ea.mbn.or.jp までご連絡ください。

                      ナワプラサード店主 高橋ゆりこ

http://www.nabra.co.jp/hobbit/nawaprasad/

ほびっと村学校かわらばん/今月のおすすめ本/ロングセラーズ/ほびっと村/Link