nawa prasad 2006


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ナワ プラサード

 
 
2006.12  

〜無知の王子B

 若い男の子はドアを開けました。そこは一種の異界でした。おじさん、おばさん、ヘンな人ばかり10人くらい?美しい女の人もいましたが、その化粧はどこか変で、唇から口紅がはみだしているのです。きれいな人だけに、尚更すごい感じです。男の人たちは、詩らしきものを口ずさみ、ひとのハナシを一切聞きません。みんな声高に勝手にしゃべり、誰も誰のことを気にしていないようでした。それに、ここの人たちは大変なタバコ呑み、酒呑みでした。タバコの匂いだけでも耐えがたいのに、安酒の匂い、誰かのげろの匂いもぷんぷんしているのです。それにつまみを頼んだら、サバの缶詰と柿ピーのみ、というていたらくです。でも男の子はしばらく独りでいるうちに、なんだかくつろいできました。それは、都に出て初めてのことでした。ここの人たちは、どこか故郷の人たちに似ていました。もちろんスタイルやコトバはぜんぜん違うし、故郷の人たちほどおせっかいでも親切でもなさそうでした。でもどこか我がままというか、ゴーイング・マイ・ウェイのところ、ノンシャランとした脳天気なところが、なんだか懐かしく心よいのでした。
男の子は、朝早くから夜遅くまで、パスタ屋の厨房で働き、夜ちょっとこのバーに寄るのが習慣になりました。パスタ屋では朝から晩まで怒鳴られっぱなしでした。慣れないせいもあり、まごまごしていると、すぐ蹴りが入ったり、トングで殴られたりしました。特にやくざのような上司がいて、その人が理不尽な難くせをつけてくるのです。きのうときょうとでは言うことが正反対だったりしました。男の子はただただ耐えました。バーに寄り、ほっとひと息つけるのだけが楽しみです。なんで我慢しているのか自分でも分からないのですが、でも他にやりようがないのでした。まだまだだ、自分は、と毎日、思っていたのです。(次号につづく) 

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2006.10  

〜無知の王子B

 なんとか金を工面して若い男の子は女の国の都にでてきました。驚きました。都には何でもありました。華麗なパレスのようなビルの陰に、卒塔婆がいくつも風にゆれている小さな墓地があったり、着飾って美しく見える人々の間に、みすぼらしいホームレスの人がいました。みんながみんなに関係なく見えました。人々はどうやって知り合うのだろう?と思いました。が、とりあえず住むところ、働くところを見つけなくてはなりません。自分も誰かと知り合わねば。心細いことでしたが、新聞や雑誌を買って求職欄を見たり、食べに行く安食堂での人々の会話にも耳をそばだてました。言っていることの半分くらいしか分かりませんでしたが、一週間くらいでだんだん慣れてきました。あまり金がないので、あせってきましたが、まだ何日かはもちそうです。ここ何日かで、仕事を決めねば。履歴書の書き方もよく分からないので、勇気をだして泊まっている旅館のおばさんに聞いてみました。親切に教えてくれたので助かります。面接とやらに2カ所行ってみました。ひとつはビルの清掃会社、もうひとつはチェーン店のパスタ屋です。どちらもなんとか言葉が分かり、受け答えもまあまあできました。旅館の電話番号に連絡してもらうことになりました。なんだかほっとして、前から旅館のそばにあって気になっていた居酒屋に入ってみることにしました。その店は周囲の感じとなんだか違っていたのです。どこがどうとは言えませんが、どこかがだらしなく、どこかが自由な感じがしました。ひとつの決まりがない感じでした。ドアを開けてみると....(次号に続く)(ゆ)

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2006.10 その2(まっちゃんより)  
 2000年夏、8年間やってた洋服屋を閉店して困ったな〜、と思っていたら鳥飼さんがナワプラサードでバイト募集してるよ、と教えてくれた。ナワがどういう所かよく分かってないのに、ゆりこさんは私を雇ってくれました。ここで働いて、ひとにとって自然なこと、を学びました。こころとからだのつながりとか、身体の豊かさとか、美味しい食べ物の味とか、今まで知りたかったことをたくさん体験したし、今まで自分がどれだけガチガチになって生きてきたかも分かりました。ガチガチだった私もここにいてたくさんの人たちとの出会いやふれあいのお陰でだんだんゆるんで元気になってきました。元気になったら彼氏もできたよ。そして、またお店やりたいな〜という気持ちが湧いてきました。もう二度とできないよ、と思っていたのに。わ〜い、すごい、うれしいな!ナモのうまい野菜を食べてたらすっかり食いしん坊になり、次は美味しい食べ物の店がいいな〜。ナワプラサードとはサンスクリット語で新しい贈り物という意味だけど、本当にたくさんの贈り物をもらいました。みなさまどうもありがとう!まっちゃんは10月いっぱいでナワプラサードを辞めることになりました。新しい扉を開けるつもりです。ちょと怖いけど進んでゆきます。(ま)
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2006.08  

<<無知の王子>>

 女の国が男の国の属国になって30年、女の国でも辺境の辺境の果てで、ひとりの男の子が生まれました。健康な、玉のような男の子でした。その頃中央の地では、すでに男の国の暮らし方考え方が圧倒的でしたが、このはずれの地域ではそれはまだ浸透しきっておらず、裕福な男の国に対する憧れはあったものの、どこか”よそごと”だったのです。日々の暮らしはつつましく、小さなことに対してまだまだ喜びに溢れていました。男の子は大きくなっても学校があまり好きではなく、行ったり行かなかったり、でも家族のものはそれをとがめませんでした。やさしい子だったので、近所のおばあさんたちの手伝いをしたり、また元気な男の子でもあったので、野山をかけまわったりして暮らしていました。

 テレビ、ラジオ、パソコンなどもこの辺境の地でも見られるようになってきました。テレビは特に影響がありました。男の国の焼き直しのような甘い物語が人気がありましたが、ときおり遠い男の国の宝の宝の映像が、なんの前触れもなく流されることがありました。偶然にも、その若い男の子は、その宝の中の宝、年老いた女性ダンサーが踊るのを見てしまったのです。ほとんど動かない踊りでした。まるで羽根をもっているかのように、その羽根がほんのわずか羽ばたいたように見えました。悲しい踊りでした。男の子は打たれました。わけも知らず涙がでました。この人に会いたい、と思いました。でもどうしたらいいか分かりません。金も情報もありません。とりあえず、女の国の都に行けばなんとかなるだろう、と密かに決意したのでした。そこまでの旅費なら、なんとか工面できるかもしれません。(次号につづく)(ゆ)

**編註:ここで、女の国は日本、男の国は西洋、と読み替えてもいいかもしれません**

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2006.06  
 昔々、大昔のこと、男の国と女の国の間に戦争がありました。男の国は別名「幸福な無邪気の国」とよばれ、その兵士たちにはなんのスキルもいらず簡単に人を殺せる兵器がありました。女の国は「ゆたかな魔術の国」ではあったのですが、その魔術は長い長い厳しい修行の末やっとえられるもので、しかも魔術自体にそれをめったに使ってはならないという戒(いまし)めがあったため、結局女の国は負けっぱなしでした。女の国の荒廃はすすみ、とても耐えられなくなったため、ついに女の国は負けを認め、停戦協定が結ばれました。女の国は男の国の属国になったのです。
 そしてまた長い時が流れました。人々は混じりあい、お互いを少しずつ知ることになりました。言葉も通じなかったのですが、なんとかコミュニケーションができるようになりました。お互いの悪いところではなく、良いところも少しずつ理解できるようになったのでしたが...(次号につづく、ゆ)。
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2006.04  
 花、花、花。植物の世界は、春を謳歌している。西荻の住宅街を歩くと、どこの家の庭にもなにか咲いている。桜、もくれん、西洋椿、ハナミズキ、沈丁花(じんちょうげ)、ヒヤシンス、すみれ、ほんとにきりがなく、どこも何もかも満開だ。私は花粉症だか、風邪だか分からないが、ぼ〜っとして、少し熱もあるみたい。これも春の身体になっているのかしら。空気も冬のぴんとした美しさと違って、少しぬるく、もや〜っとした春の風。
 人も花だったらいいのに。私は女だから(?)、たまに男の人が花に見えるときがある。ビールにタバコでくつろいでいた太ったトルコ人のおじさんが嬉しそうに踊りの輪に加わったときとか、バリの柳腰(女に使う言葉だが)の男の人がハイビスカスの花を耳にさして笑っているときとか、日本では相撲の力士がとり終ったあとの表情、とか、ああ、富士吉田市の火祭りで見た、年をとったおじさんたちが女房の襦袢を着て、みこしをかつぐ前にたむろしているとき、とか。でも残念ながら、そんな色気のある人はふだんは見たことがないなぁ。見ないほうがいいのかな? 色ぼけになってしまうかな? でも春が来たのだから、そんな妄想も少しは許して。(ゆ)
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2006.02  
 私はルーツ文化ではなく、クレオール文化だと必死で誰かに説明する夢をさいきん見た。クレオールというのは、確かフランス植民地文化であるから、私の出自(父が日系二世)からすると関係ないのだが、ともかく混ざっていることを言いたかったのであろう。お相撲を見ていても、ついモンゴル出身の朝青龍やブルガリア出身の琴欧州などに目がいき、今回はその2人の闘いになると言われていたのに、結果は、日本の栃東の優勝であった。ふつうみんな喜ぶところだが、私は少しがっかりした。栃東はコツコツ努力型のおすもうさんで、べつに嫌いではないのにね。でもモンゴルやら東欧らの力士はもう私には”外人”には見えないのである。いろんな地方の人達がそれぞれいろんな事情で来日し、ガンバっているように思えるのだ。
 四百年前、日本は戦国時代だった。今の言葉なら、内戦、である。また明治維新の際にも戦争があった。今は、隣の県の人と、銃や剣で闘うことを想像することもできない。あと何百年か経ったら、世界中の人と、そうなるといいな、と思う。でも同時に、自分の文化を誇る人たちに対する敬意ももたねばな、と思う。世界の原理主義の人達は、自分の文化が侵略されるのが嫌なのだろう。そのいや、というきもちは、わかったほうがいい。混ざるときもちいい、おもしろい、というのもきっと一方的だからだ。なにごともリスペクトだな、いちばんできてないことだけども...。相手というより、いのちに対してなら、できるかな...。(ゆ)
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この文章は紙版「ほびっと村学校かわらばん」の編集後記です。ナワプラサードの高橋ゆりこによって書かれました。

 
 
 

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