nawa prasad 2007


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ナワ プラサード

 
 
2007.02

〜無知の王子C

 男の子のパスタ屋とバーと安アパートの三点往復生活は一年くらい続きました。パスタ屋では前ほど怒鳴られなくなり、しかも自分より下の子が入ってきました。その子とあろうことか殴るマネまでして遊べるようになってきました。理不尽なことばっかり言っていた上司も、自分の不始末からクビになり、荒れていた職場も穏やかなものになってきました。パスタもうまく茹でられるようになってきたし、そんなことが男の子の小さな自信につながってきてはいたのです。
 バーではあいかわらず独りで黙って一杯飲み、まわりの人たちの矯態を楽しく眺め、眼を見張ったり引いたり、自分の中ではいろいろあるのですが、目立つということはありませんでした。強烈な個性の大人たちに比べると、おとなしいただの青年にしか見えませんでしたから。
 家に帰ると、身体を鍛えました。ストレッチ、腕立て伏せなどをしてから、あの懐かしい老女性ダンサーのことを想い出し、そのまねをして動きます。どうして羽根をふるわせるように自分の手を動かせるのか、いろいろ工夫してみますが、よく分かりません。故郷で一度テレビで見ただけで、強烈にその動きは焼き付いてはいるのですが、根本のところが自分には分かっていない気がします。でもともかくも、独りでそんなふうに1、2時間踊ってから眠るのが日課でした。(次号につづく)

2007.04

無知の王子D

 そのころ、女の国の都に、男の子の憧れであった、男の国の宝の宝、老女性ダンサーのカンパニーが公演をうつことになりました。もちろん、男の子はでかけました。圧倒されました。力強い群舞の踊りも素晴らしかったですが、何にもまして、その中心で静かに踊る老女性ダンサーに、またも魅せられました。何も言うことができませんでした。やはり彼女に会いたい、会ってどうなる訳でもありませんが、でも会いたかった。いろいろストーカーのように調べて、毎日、ホテルの前で待ちました。
 待って待って四日目のこと、老女性ダンサーがひとりで出て来ました。男の子はおずおずと踊りはじめました。言葉が通じない、だから身体の言語で話す以外にないと思ったのです。最初のひとこと、『待って!』以外は。細胞のひとつひとつが震えるような気がしました。手を伸ばすたびに、足を一歩だすたびに、自分が少しずつ大きくなる感じがしました。不思議な感覚でした。これまで人前で踊ったことなんかなかったのに。練習はひとりでしてきましたが、それはなんのためかは分からなかった。でも、彼女のため、だったのです。彼女のための、小さなエチュードの踊り。だんだん、興がのってきました。でも、のりきらずに、がまんしいしい、ひとつずつ、身体を動かします。なぜって、興にのれば、それは嘘になりそうだから。ああ、ああ、でも、もうがまんできない、この枷を外したらどうなる? どうなる? 柳のように、身体はさらにしなって、男の子はダンサーになりました。空を切っていたのです。空を切って旋回していたのです。そのあとは何も憶えていません。気がつくと、踊りは終わっていました。(つづく)

2007.06

無知の王子E

男の子に、たとえようのない寂しさがやってきました。あの日、踊りきったあと、老女性ダンサーは何か言ってくれたようでしたが、言葉がやはり分からないまま、二人とも困ってしまい、とうとう、さよならをしてしまったのです。ふぬけのようになりました。あの恍惚の時間が、いまでは夢のように思えて、パスタ屋での毎日の仕事も、そのあと例の酒場にいっても、誰に何を言われてもうわのそらでした。もう家で踊りの練習をする気にもなれず、ぼんやりしている。ふつふつ、田舎へ帰ったほうがいいか、ふつふつ、いや何も帰ることはない、ふつふつ、、、、  そんなふうにまた時が過ぎて行きます。心はここになくても、身体はここにいて食べたり、仕事したり、できることが分かりました。完全に身が2つに裂かれたようでした。
 もうひとつの自分は、まだあの時間の中にいるのです。完璧な踊り、完璧な自分。手をどう動かしても、足をどう蹴っても、それ以外は考えられない動きでした。時間にしてどの位だったのでしょうか、今となっては確かめようもありませんが。あまりにも自分自身であったので、今のさびしい自分が信じられない思いです。ですが、時は刻まれていきます。生きていかねばならない、もう、あの時間は過去の夢でした。そうです、過去の夢として、忘れた方がいい。なにかそのように思いはじめたとき、どこからか、ほんとうの時の輪が近づいて来たのです。(つづく) 

2007.08
 夢の中では何もかもが一気に加速する。就寝して2時間くらいのち、ベランダの外に男が立っていた。むろん窓の外ではあるが、ほとんど窓にペッタリはりついて立っているのだ。顔は見えないが直観的に隣家の男だ、と分る。恐怖のあまり声がでない。何回も何回も声はかすれ、音にならない。ようやく「家に来ないでください」と言えたところで目が覚めた。
 隣は初老のおじさんの一人暮らしである。うちのベランダは2畳くらいの大きさでその先50cmくらいのところに塀があり、すぐ隣家の風呂と洗面所がある。朝のぐじゅぐじゅペッ、風呂でのたのしそうなハナ唄、ラジオに向って「馬鹿やろ〜、ふざけんなよ」という声は毎度のことで、気にしてないつもりだった。暮らしの時間帯が違うのか、長年隣同士なのに、顔を合せたことは一回もなかったし。
 ところがつい先日、家を出たら、自転車で出かけようとしていた隣のおじさんと鉢合わせした。普段の生活音からおじいさんだと勝手に思い込んでいたので、その若々しさにびっくりして声も出なかった。向こうもビックリしたのか、私と分らなかったのか、アイサツもせずにマウンテンバイクにまたがってさっと行ってしまった。おしゃれなポロシャツに身体もスリム、後ろ姿のリュックのしょい方も今ふうで、いい男、と言えるくらいだった。で、冒頭の夢となったわけなのだ。どうなっているんだ、私のイメージ回路。思い込みが崩れたからって、そんなに一気に。夢だから分かりやすいけど、現実にもこんなことはあるかもしれないな、っと思ったできごとでした。(ごめんなさい、『無知の王子』はお休みです。それから隣家の○○さんにも、ごめんなさい。ゆ)
2007.10

 この頃、女であることにようやく慣れてきた気がする。男の目で自分を見てたというか、ご苦労様な人生だった。違和感は、大学に入ったとたんに訪れた。急にもてはじめたのだ。だが、どの人もまとはずれな気がした。誰も自分の本質を見ていない気がした。一番見ていなかったのは自分なのにね。ともかく、いろいろ小さなことがたくさんあって、27歳で初めて子どもを産んだ。「幸せ」という言葉の意味を知ったのは、そのときだ。孤独だった私のところに来てくれた小さなひと。どれほどありがたかったか分らない。世界は広がったが、同時にすることも増えた。若さにまかせて乱暴に乗り切ったが、また危機が訪れた。何度も何度も。いつでも「女」と見られた。厭だったが仕方なしに女のふりをした。楽しんだ時もあった。そうやって年をとった。もうそんなにもてない。「」つきの女は終り、ほんとの女になった(気がする)。世間的にはグランマみたいな年なのが残念だが、きっと人生とはそうしたものなのだろう。自分の目でようやく自分を見ることができるようになったのだから、喜んでいいんだよね?

 **『無知の王子』はしばらくお休みします**

2007.12
 ここのところ、いただきもので果物がたまっていた。ぶどう、柿、りんご、西洋梨、みかん。人にあげても、また人からもらう。秋の豊穣の味覚だが、生では食べきれない。お豆腐和えで料理に入れてもきりがない。そうだ、また酵母をつくろう!と思い立ち、柿やりんごを細かく切って、水をいれ、ちょっとはちみつを入れて置いておく。1週間くらいたつと、しゅわしゅわしてくるので、それで小麦粉を練ってパンを焼くのである。自分で酵母から作るパンはほんとにパワー・フードという気がする。市販のどの味にも似ていない。もちろんあまりふくらまなかったり多少の失敗はあるが、なにしろ原料がいいので、やはり豊かな滋味をいただいている感じ。若いころ、モロッコを旅したとき、パンが美味かったことを思い出す。自然な塩味、というのをそのとき初めて味わった気がしたのだ。それを思い出しながら、1週間に1〜2回、パンを焼く。つくりすぎるので、やはり食べきれない。それに次はこの酵母が、と待っているので、忙しい。そんな訳で、私からパンを貰った人はいやがらないでね。(ゆ)
 

この文章は紙版「ほびっと村学校かわらばん」の編集後記です。ナワプラサードの高橋ゆりこによって書かれました。

 

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