nawa prasad 2010


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今月のおすすめ本

ロングセラーズ

ナワ プラサード

 
 
2010.02

 ここ数週間、毎晩眠る前に「ルーミー語録」を読んでいる。ルーミーは14世紀のイスラム神秘主義者・詩人。すでに絶版なので、友人から借りてコピーしたものなのだが、千夜一夜物語のように、毎晩一章ずつ読んで眠りにつく。中でも理由は分らないが、好きな一節があったので紹介します。

 「或る時、王様があって、一人の大変に誠実で、特別にお気に入りのお小姓をもっておられた。そのお小姓が王宮に赴く時、人々は様々な訴えごとやら願いごとやらを書きつけた手書(てがみ)を彼に託して、王様のお耳に入れてもらおうとするのを常とした。ところがこのお小姓、王様の御前に伺候すると、燦然と照り渡る王様の美しさに堪えられず、気を失ってそこに倒れ伏してしまう。王様は、「いとおしいやつよ、わしの美に目が眩んで気を失うとは。一体、何を持っておるのか」とおっしゃって、まるで恋人の懐でもまさぐるようにお小姓の懐に手を入れ、紙入れをさぐって、かの書状の数々を見つけなさる。願いの筋、訴えの筋に目を通し、裏書きした上で、またもとの紙入れにそっと返しておかれる。
 こういう次第で、そのお小姓がお見せしたわけでもないのに、全ての用件はとどこおりなく済み、ただ一つの願いごとすら拒(しりぞ)けられることはなかった。いや、それどころか、人民の要求したことは何倍にもして果たされ、彼らが始めに望んでいたよりはるかに多くのものが手に入った、という。これに反し、もし他のお小姓たちならば、意識を失うこともなく、従って人民の訴えごと願いごとをはっきりと王様にお伝え申したかもしれないが、それでは百件のうちせいぜい一件ぐらい、それも僥倖で、聴き届けられるだけであったことであろう。(井筒俊彦訳、岩波書店)」

 どうですか? 王様は神さまのたとえなんですけれどもね、その威光に目がくらんで失神したお小姓になりたいものです。「人が自分を二分して、半分は有力、半分は無力と考えるのは間違っている」と書いてありました。「思いのままにできる時でも自分を無力無能の男と見る目がなくてはならない」とも。他力本願は、イスラム世界にもあったんですね。万国共通なのかなぁ。(ゆ)

2010.04

 書店は昔から万引きが付きものである。ナワプラサードは路面店ではないから、それほど被害はないが、それでもちょいと出来心、というのはあるだろうな。この店にスタッフとして入った1990年ごろ、夜に停電になったことがあった。その時「さぁ〜、万引きタ〜イム!」と叫んだ女性スタッフがいて、仰天したのも楽しい思い出である。花と本を盗むのは泥棒ではない、と信じていた若い頃(実際はしなかったけれど)、でもその自由というのは、相手の被害を全く考慮に入れてないからでもある。
 先月は『日本の神様カード』がよく売れていたが、私たちスタッフは、毎日48枚の神様カードから1枚引いて、「今日の神様」として、見本の解説本からちょちょっとキャプションを書くのを日課としていた。で、ある日、その本がない。ないと書けないのである。カードは3150円もして、もう1個あけないと解説本はでてこない。情けない程薄利な本屋としては、ほんとに悲しかった。
 万引きしたものを返してくれた人もいた。奇っ快な事件だった。本ではなく、NOMADSというカナダのヘンプ服。その数点が盗まれたのだ。卸してくれた人には払わなければならないし、超ガックリであった。それから半年ぐらいして、階段のところに、半乾きのその盗まれた服がそっくり置かれてあった。洗濯の途中で「そうだ、返さなくちゃ!」と思ったのだろうか? もう売り物にはならないので、スタッフにあげ、私も1枚もらった。お気に入りの服ではあるのだが、私の前に盗んで着ていた人はどんな人だろう?と時々思ったりする。そちこちにいろんな事情があって、人間界は複雑です.......。(ゆ)

2010.06

 母「令ちゃん、いつ生まれるの?」
 私「七月よ。」
 母「あ〜、七月、暑い時ねぇ、大変だねぇ。で、男の子? 女の子?」
 私「男の子だって。もう分ったみたいだよ。」
 母「へぇ〜、、、(ちょっと間があり、二ヤっと笑いながら)あんたもおばあちゃんだね。」
 私「ママなんか、ひいおばあちゃんだよ。」
 母「ひぇ〜!!」
 これは三日とあけず、母との繰り返しのミニ漫才である。オチのひぇ〜、までいっしょ。ここでいつも母はこける真似をする。母は、もう細かいことは覚えていられないが、孫が妊娠したことは、覚えている。で、気になるらしく、繰り返し聞くのである。
 母の主な活動は、気分のいい時の庭掃除、毎日の西友でのお買い物である(ほびっと村は娘の職場なので、遠慮して来ないらしい)。トマト、茄子、えのき、ブルーベリーヨーグルト等が好物らしく、冷蔵庫にいつも三、四袋ずつ入っている。食べきれないので、下の方は、発酵したり腐ったり、台所がすえた匂いがするようになった。私が時々行って、捨てたりもらったりしているが、買い物はやめられないようだ。父の七回忌の法事で、兄妹三人が揃ったとき、自然に母の家の大そうじになった。ゴミ袋が十個くらい出た。母は憮然と、小さい声で、「一人だと不経済なのよ」と一回言い訳をして、あとは坐って目をつぶったまま知らんぷり。でも、きっと幸せだね、お母さん。こうやって、じゅんばんこに、年をとっていくなんて。私もそうだよ。(ゆ)

2010.08

 孫がとうとう生まれた。予定より2 週間早かった。助産院でのお産に、
娘のパートナーとともにつきそい、内心私のときよりずっとじょうずだわ、と思った。妊娠中からすでに名前をつけていたので、「こた(愛称)、 あと少しだよ、いっしょにがんばろうね」などと、娘は陣痛のあいまに話しかけている。妊娠していっしょうけんめいお産について勉強して、助産師さんの実にハードルの高いアドバイスも八割方クリアして(食事のしかた、冷えへの対処法など)、がんばってきたのである。私のときはもっとのんびりしてたし、なぁんも勉強せず、助産婦さんへの信頼感だけでのりきっちゃって、今思うといいかげんでした、ごめんね令ちゃん。

 退院して、しばらく母子ともに、家にいることになった。婿さんは沐浴要員・犬の散歩係として、夜やってくる。私は仕事しながらなので、三食用意して、洗濯・掃除とたいへん忙しい。娘はいまのところ乳母に徹しているので、食欲は成長期の男子みたいで、私は驚きっぱなし。ここのところの猛暑でそれぞれ大変だったが、でも家にちいさなひとがいるのは実に楽しい。私の母も、ひいおばぁちゃんの自覚があるのかないのか、「小さすぎて、怖くて抱けないわ」と言いながらも、渡すとしっかり抱いて目を細めている。家の中心に、小さなかみさまが鎮座ましましている感じである。中心があるというのは、すごいことだなぁ。私の別れたパートナー(じじ、だよ)やそのお連れ合いまでやってきて、みな、こたを抱いて幸せそうで、いやはや、めでたし、めでたし。(ゆ)

2010.10

 うちの小さな庭に一本だけ、彼岸花が咲いた。去年からだ。去年はあまりの美しさに、すぐ切って居間に活けてしまった。タネがどうなるか、見る前に切ってしまったので、今年はどうかなぁと思ってたら、やはり一本、すくっと赤い花が咲いた。
 小さい頃はこの花が怖かった。ひがんばな、という音もなんとなく違和感があったし、祖母から毒があるよ、と聞いていたので、庭にたくさん咲いていたが、近寄らないようにしていた。死後の世界に咲く花のようで、ほんとに怖かったのだ。葉っぱがなく、花だけ咲いているのもなんだか好きでなかった。まんじゅしゃげ、という名もあるのを知ったとき、この音にもなじまなかった。ちょっとひわいな響きを感じたのかな。
 でも年をとると、もう怖くない。ひわいにも感じない。ただただ美しいだけ。一本だけ立っている姿はほんとにきれい。鳥が運んで来たタネなのかしら。いや、よく考えてみれば、ユリ科の植物だろうから球根で増えるのだろう。今年は切って活けたい衝動をなんとか我慢して、来年増えるのを待とうかしら。暑さがついに終って、寒くなったら、すぐ咲いた花。やはり迷うなぁ。(ゆ)

2010.12

 先日、明治神宮にお散歩に行った。横山大観展を見たり、参道をそぞろ歩いたり、きもちよかったなぁ。帰りにお土産やで、すてきなてぬぐいを見つけた。うり坊(いのししの子ども)と瓜がどっちがどっち?と分からなくなる図案で、とってもしゃれていた。買って帰って娘に自慢して、いいねぇ!と言われて、そうでしょう!と応酬したり。で、来年の夏こそ首に巻こうと思って(夏は汗とりの手ぬぐいをするともう放せないよ)、しばらく忘れていた。

 母の誕生日の日。朝、母の家に寄って、今日ご飯いっしょに食べようと誘ったとき、母は興奮して何やら靴箱の上に置いてあったものをふりまわす。え、甲虫? 玄関は薄暗くてよく見えない。足が生えてる? 小さな生きもの? よ〜く見たら、小さなさつま芋から手足のように根が直角に生えている。母は嬉しそうに、ね、すごいでしょ、かわいいでしょ、だから玄関に飾ってあるの、と言う。

 そして夕刻からのパーティ。兄夫婦も来て、みんな持ち寄りで、大盛り上がり。赤ちゃん(私の孫)もいたせいもあるだろう。楽しい時間だったなぁ。でもさいごは独り、フロに入って気づく。

 <<あ、うり坊は私だ!>>

 なぜなら、?@私はゆりこだが、小さい頃言えなくて、自分のこと、うりこ、と言っていた。うりぼうず、と可愛がってくれる人もいた。?A瓜は大好物。?Bよく分からないが、いのししの子→→瓜→→母が見つけた根の出たさつま芋の形状……この相似の発見は、私も含めた生物に大きな意味で関係ありそう。こじつけだろうか? いや、瓜と混然一体となって走るうり坊たちには私の生命力を、根の生えたさつま芋には私の再生を、感じる。(ゆ)

 

この文章は紙版「ほびっと村学校かわらばん」の編集後記です。ナワプラサードの高橋ゆりこによって書かれました。

 

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